ロミログ : パールマスターのハッピーブログ

 

 2008年6月28日、「真珠科学研究所アカデミーコース20期生卒業式」が

上野区民館で来賓やプレスを迎え行われました。

 1期から数え20年の歳月が流れた訳で、その間の先生始めスタッフの方々の

並々ならぬご苦労は如何ばかりだったかと察するに余りあります。取り分け20期の

我々は20代から60代という年齢差。始め先生は、頭を抱えていらっしゃいました。

 しかし、理論を終え実習でネックレスを組んだり、イヤリングを作ったりするころ

から、なんとなくうちとけて和やかな感じに成ってきました。宝石学会で論文発表

の頃には緊張と励ましで、もうみんな一つにまとまっていたように思います。

一年間はあっという間に過ぎました。私は晴れて真珠専門家としての称号である

 「パールマスター」を授与されました。

 

                                          

 

                                               

 

 

 

 

 

 

         

 

 私はこの1年間、真珠科学研究所で真珠の勉強をしてきました。そのまとめとして6月14日(土)宝石学会(日本)講演会で卒論を発表しました。真珠研のアカデミーコースの4グループがそれぞれのテーマで取組み、私たちは「淡水真珠の加工きずに付いての考察」~最近市場で多く見られるようになった大珠の淡水真珠について、その加工傷に絞り込んで分析を試みた。~でした。パートナーの解説が上手だったので、難なく乗り切ることが出来たようです。

講演会の内容で面白かったのは「最近遭遇した岩絵の具につて」とか「いわゆる“グリーン・アンバー”についての分光分析研究」でした。九州大学理学研究院地球惑星科学部門(私にはとても理解できそうにない)の上原先生は特別講演で「九州の鉱物と九州大学の鉱物標本」を話されました。

ダイヤモンドやルビーやアンバーとかについての発表が多く、私の興味を引いたのはやはり真珠の将来に関することでした。今年は福岡で6~70名位の出席者で行われました。

 翌日、壱岐の養殖場を見学。挿核作業も見せて頂き、清潔に整理された社内は「3年連続優勝」も成程と合点が行きました。それよりもまだ矍鑠としておられる82歳の社長さんは軍人で終戦を迎え、ガムやチョコレートで女、子供にもてはやされるアメリカ兵を見て、「あのアメリカ兵が頭を下げて買って帰るのは日本の真珠しかない」と思い立ち真珠生産を始めたそうです。気骨ある素敵な方でした。

 

 

 

 

                   

6月

12

 帚木蓬生さんの本を読みました。

「アフリカの蹄」若い日本人医師が南アにおいてその人種差別に直面し戦うヒューマンな物語。

「三たびの海峡」日韓の近代史に眠る、日本人によって朝鮮半島側から見た反日小説。

 「閉鎖病棟」作者が精神科医故に書けたのか「山本周五郎賞」受賞作品。

 「逃亡」太平洋戦争末期香港で憲兵であった主人公の戦犯としての葛藤。上、下2巻。

私は今まで、見ないで済むものなら目をつぶろうという気持ちがどこかにあったように思う。でもやはり、それでは通らなくなった自分がいる。遅きに失した感があるけれど、思い立ったが吉日、これからもっと視野を広げたいと思う。

 

 

6月

映画

10

 先日、研修の帰りポッと時間が空いたので映画を観に行きました。

ジャック.ニコルソンとモーガン.フリーマンに魅せられて「最高の人生の見つけ方」原題は

THE  BUCKET LIST(棺桶リスト)を観てきました。

フリーマン扮する極普通の常識人とニコルソンの大金持ちのプレイボーイが癌の治療で

入院し、奇しくも同室になる。始めはぎこちなく食い違うのだが余命幾ばくもない二人に

心の絆が生まれる。そして二人はやりたいこと、やり残したことのリストを作った。

大金持ちの彼の自家用ジェットに乗ってリストアップした事柄を一つずつ実現し、消していくのです。

ダイビングをしたり、ライオン狩りをしたり、タトゥーをいれたり、迫力ある画面にわくわくしました。

でも、楽しいことばかりでなく、本当に解決しなければならないことに目をそむけている大金持ちの彼に、ついおせっかいを焼いて衝突をおこし、達成半ばで別れ てしまうのですが、、、。

 やっぱりアメリカの豊かさは違うな~という思い、二人の出演でこそ出来上がった映画だなという

感でした。私の期待は違うところにあったので、少し心の物足りなさはありましたが、でも観て楽しい

映画でした。これからもっと映画を観ようと思いました。 

6月9日(月)~20日(金)~お電話等でご予約をお願い致します。~

恒例のパールフェアーを開催致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

真珠は6月の誕生石。

昔、ヨーロッパでは娘や妻の誕生日などの記念の日に

希少な真珠の珠を一粒づつ買い求めて

連のネックレスにするという慣習があったようです。

今は昔、人も真珠も何かとても大事にされていたような

そこはかとなく心和むいいお話ですね。

写真のネックレスはバロックでマルチカラー、ブラック系。

カジュアルな装いにスーツにとても良く合います。

是非実物をご覧ください。

お暇を見てお出かけ下さい。

スタッフ一同お待ち致しております。

5月

戸隠

29

 

5月はイベントが山積みでした。

雪の頃に行って、その神聖で素朴な美しさに感銘した我が娘が、是非一緒にと誘ってくれたのが戸隠でした。まだ残雪の戸隠山は気高く美しく、30分は歩く奥社の参道の杉並木は荘厳でした。林芙美子が滞在したという宿に泊まり、朝5時半に出かけてみた鏡池は日の出には間に合わなかったけれど、でも心の洗われるような美しさでした。訪れた人々や写真家達は、移りゆく風景を求めて10何人といましたが、この宇宙空間に我一人の心境で池の水面を眺めていました。風景と一体化した自分を今も思い浮かべます。

中社では丁度運よく昔ながらの雅楽を拝見することができました。拝殿の中はストーブを焚くほど寒かったのですがそれが、むしろ清々しく感じられたのす。

帰りの昼はうずら屋のお蕎麦とそばがきをいただき絶品でした。

私はその店のチラシに興味をそそられました。

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一期一会の心ざし。

島崎藤村の小説「夜明け前」の一説「木曽路はすべて山の中である」明治初頭の激動期に生きた、少年の日の望郷の念が、書かせた言葉というしかない。

終戦の頃駐日大使を務めたフランスの詩人P.クローデルの言葉「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族がある。それは日本人だ。日本人ほど素晴らしい民族を私は知らない。彼らは貧乏だが高貴だ」古来より独自の文化を持ち、自然と共に生きてきた日本人、勤労、勤勉を美徳とする精神文化や、自然に対する畏敬の念、四季の移ろいを愛でたり、心の豊かさ…(中略)

日本人、日本の文化を藤村の生きた時代を想いながら探していきたい。

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行きに小布施の「蔵部」で頂いた「寄り付き料理」も、かまどで炊いたご飯のおいしさは今迄食べたどこのご飯より、おいしいものでした。

幕末の豪商高井鴻山の招きで、葛飾北斎が晩年の3年間逗留したという小布施の町は、当時を彷彿とさせる酒造などの建物がそのまま残っていたり、現代風に生かされていたり、とても風情のある面白さでした。北斎を想い、この町を想いして戸隠の里へ向かったのでした。

 

 

 

 

 

 

    

5月

28

                           

  私はこの頃幸せです。Le Un のスタッフのひとりが、コンテナーガーデニングマスターの資格を取っているほどの花好きで、庭に咲いている丹精こめて育てた花を、手いっぱい摘んで来てくれるから。この時期、百花繚乱。黄色のフリージャは香りも良く、ラベンダーや矢車草の紫、八重こでまりの白、ピンクのチューリップ、深紅の金魚草、小さな白いマーガレット、、等々

それぞれが可愛らしく自分を主張して誇らしく咲いています。

 先日の母の日に娘からもらった真っ赤なカーネーションも2週間ほど咲いていました。そして、この頃プリザーブドフラワーがそこここに見受けられます。

家の中にお花があるって、なんと潤いのあることでしょう。水彩で絵に描いたりもしています。

この頃手慣れた(?)デジカメでお花たちをお見せしましょう。

 

             

 

 先日、研修(真珠科学研究所アカデミーコース)で宇和島へ行ってきました。

島だとばかり思っていたのは私だけではありません。リアス式海岸の美しい海をもつ宇和島は島では

なく地名でした。トホホ、、、

 

松山空港を降りて予讃線の電車に乗り37?のトンネルを潜り宇和島駅終点、そこからレンタカーに乗り1時間程で浜へ出ました。

この時期貝の中に核を入れる挿核作業の真っ最中、船に乗って養殖筏まで見てきました。  

 ここでは母貝造りから挿核、養生、真珠のできるまで一貫して行っていました。

自然に任せることの多い、年単位で結果を待つというこのお仕事のご苦労は如何ばかりかと深く感心致しました。

宇和島の真珠は無調色(普通は染色する)で自然の光沢を放ち、美しく輝いていました。

 

帰り、道後温泉の館を観、松山市内を走る「坊ちゃん電車」を観て昔懐かしい感を覚えました。こうして、2日間の研修が終わりました。しかし秋山兄弟の生家とか正岡子規や漱石の住んだ家とか行きたかったな~

 

 

 

                                                                     

 ブログの投稿作業がわからず今まで伸びてしまいました。又今日から始めさせて頂きます。

 先日、家の近くの掲示板を見ておとなの寺子屋“千代田区ゆかりの女性”の第1回講演を聴きに行きました。

「平塚らいてう」について江刺昭子先生のお話は大変簡潔に、短い時間の中で流れるように早く、1時間半はあっという間に経ってしまいました。

 明治19210日麹町区3番町に生まれ、父は会計検査院の役人で、欧米諸国を巡りその間母は英語の勉強のため女学校に通う。家庭ではテーブルと椅子の生活、らいてうは、このような恵まれた文化的な家庭、両親の下、文明開化の時代の先端に育ちました。

明治44年「青鞜」発刊。「元始、女性は太陽であった」を発表し、大きな反響を呼び、以後昭和46年5月死去まで、「新しい女」への非難をあびたりしながら婦人問題に力を注がれたのでした。私たち女性が今日、この地位にあるのも「らいてう」をはじめ多くの諸先輩の数ある御苦労の上にあるのだということを改めて考えさせられた時間でした。

    <らいてうが目指したこと>

・女性の天才の発揮(自己表現をうながす)

・自由恋愛の実践(家制度の否定)

・男女対等の結婚と育児

・母性の保護と尊重(優性思想の強調)

・女性の政治参加

・安全な食品を消費者に

・自然との共生

・無条件に平和を主張

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  『青鞜』創刊号  青鞜発刊に際して

 元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。

今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。

偖てここに「青鞜」は初聲を上げた。

現代の日本の女性の頭脳と手によって始めて出来た「青鞜」は初聲を上げた。

女性のなすことは今は只嘲りの笑を招くばかりである。

私はよく知っている、嘲りの笑の下に隠れたる或ものを。

そして私は少しも恐れない。

しかし、、、(以下略 )

 明治の頃なんと新しい発想だったではありませんか!

 

 

 

 

 

 

 

 

5月

ご挨拶

12

Le Un(るあん)のホームページを開いて下さってありがとうございます。

リニューアルにあたり私のブログを始めることに致しました。つたない文章ではありますがどうぞお付き合いくださいませ。

17年前、「第三の真珠」に出会って、一顧客からこのお仕事を始めました私は、戸惑いながらもお客様やスタッフ、家族や友人たちに支えられ、企画から商品づくり、接客、交渉、ショールームの飾り付け等々・・・そして経営と立ち働いているうちにいつか還暦を過ぎておりました。

「このパールの本当の良さをもっともっと多くの人たちに知って頂きたい」と常々思っておりましたところ、昨年末友人たちの後押しにより、ホームページのリニューアルを決意致しました。

そして、みんなでプロジェクトチームを作り、「第三の真珠」のWEB上での親しみやすいネーミングはないかしら?→真珠→光輝→幸喜→幸せを呼ぶ→ハッピー、そうだ「ハッピーパール」!!と名付けました。

こうしてハッピーパールプロジェクト略して「ハッピープロジェクト」は発足したのです。

ハッピープロジェクトは、10数回のミーティングを繰り返してきました。

グランドリニューアルオープンに向け、写真撮りから始まりスペック、コメント等々スタッフ一同、一丸となり今までにない忙しさで動きました。しかし、今回この仕事を引き受けてくださった早坂さんはそれ以上に忙しかった事でしょうと、頭の下がる思いです。そして、コンピュータを使った現代のハイスピードな仕事振りを拝見して、大変勉強になり感心致しました。

又、沢山のサポート、アドバイスを下さった方々に心から感謝の念で一杯です。

思えば新緑の木々、花々はいっせいに咲き誇り、爽やかな風を受けて、思わず顔がほころんでしまう。そんな時期にリニューアルオープンするのもウキウキした予感を感じます。

自分の日記すら続かない人間ですから何時までできるか本人も戸惑っていますが、自分に挑戦するつもりです。

それから、私の好きな身の回りのグッズも時々にご紹介したく思いますのでどうぞご覧下さい。